れてフランス王宮に住む

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れてフランス王宮に住む

最近のレストラン、フレンチよりイタリアンっぽいお店が増えて来ているようだ。
イタリアンと言うには、ちょっ應用科技と憚れるが、行列ができるパスタの店を見ることも多い。

イタリア人がよく言うことだが、
フランス料理?
所詮は、イタリア料理の亜流に過ぎない。
16世紀にイタリアのメディチ家から、フランス王アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis) が、お抱えの料理人を連ことになったことにより、
イタリア料理が姿を変えてフランス料理となった、と。
今でもよく聞く話の一つではある。

フランス人は、そのような捉え方をしていなかったようだ。
料理に関するコメントではないが、
さきごろ見つけたフランスの小説家アンドレ・モーロワの著書に
カトリーヌ妃が嫁ぐことにより
「イタリア風の謀略や罰を受けない殺人、妖しげな決闘、毒手袋の風習などをフランスに導入した。そして、イタリアの傭兵隊長流とフランス騎士道が入り交じることにより奇妙な人間を作り出した」
とあった。
イタリアがもたらした風習雪纖瘦について、かなり否定的な表現がなされている。


このカトリーヌ妃、災いだったのか、吉だったのか、歴史をかけても、その答えは出にくい。
彼女は、メディチ家出身らしく、美術品の蒐集にかける情熱がかなりあったようだ。
彼女にとって、
それよりももっと関心があったものは、占星術や神秘学、有名無名の魔術師たちだった。
その中に、かのノストラダムスもいた。
最後は彼にかなり心酔するようである。

彼女が宰相としての立場に立った時、イタリア人のマキャベリが書いた『君主論』が、
指導哲学でもあったと言瑪姬美容 價錢われる。
その一節
『君主は、慕われないまでも、憎まれることを避けながら、恐れられる存在にならなければならない』
彼女のスタンスだったとも言われる。その言葉を胸に、何とか治めきったようだ。

どこかの国の宰相は、どうなるのか?
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